本当に講師やライターさんが体験したことを書いています。, 知りたいことが、わかりやすく説明されていてとても良かったです。ありがとうございます。, 学校で、外国との文化の違いについて学んでいたのでとても勉強になりました。ありがとうございます, このサイトを使ったことで、楽しく勉強することが出来ました。学校に行くと先生などに褒められました。本当にありがとうございました。助かりました。. 文化的な背景や手に入りやすい食材の違いから、日本のクリスマスには西欧諸国と異なる点があります。日本独自に展開され根付いたクリスマス文化をご紹介します。 (C)Shutterstock.com. 日本ほど他国の文化に寛容な国は珍しいと思います。 韓流はごり押ししすぎて失敗した感がありますが、例えばBio HazardやMetal Gear Solidなど 世界でも有名なゲームは米国が舞台。食文化やファッションは欧州の影響が強いですね。 今日の作文では日本食文化について発表をします。 日本では食事は本当に大切です。過去には地震や火事、台風や津波のせいで食料が少なくなったことがあるからです。ですから、日本人にとって、食事は大切です。日本人はいつも、皿に料理を残しません。 カナダは今年(2017年)めでたく建国150周年を迎えました。 カナダは多くの移民によって国が成り立っているので、多様な人種と文化の人が共に生活しているとっても国際的な国です。 日本人がカナダ人を想像するとき、きっと白人を思い浮かべる人が多いと思いますが、実際は白人よりもそれ以外の人種の方が人口を上回っています。 特に都会では、アジア系、アフリカ系、アフリカ系、南米系、など様々なバックグラウンドを持つ人が共に生活し、それぞれの文化を尊重しています。 そのため、良い … 国が違えば文化が異なるという言葉のとおり、アメリカの文化や習慣は日本と異なる点が数多くあります。この記事では、アメリカの文化や習慣についてご紹介していきます。アメリカ留学や旅行を考えている方は、ぜひ参考にしてみてください。 日常のちょっとした文化習慣の違いは何?海外と日本ではいろんな違いがありますが、その中でも日本では当たり前だけど海外では珍しいモノもたくさんあります。今回はその中から10種類ほど紹介しつつ、そこで日本と海外のちょっとした違いを感じてもらいたい 作文が苦手な中3です。「異文化理解する際、重要なことは」というタイトルについての小論文(500~600字)を書かなければならないのですが、どのようなことを書いていいのか分かりませんので、アドバイスお願いします。早速の補足をあり 筆者自身が海外で受けたカルチャーショックをもとに、海外と日本の文化の違いをまとめてみました 日本と海外では、食生活1つとってもあらゆる面で違いがあります。日本人の間では常識になっていることでも、海外に行ったら非常識と思われたり、白い目で見られるなんてことも…。 733年の成立と言われる『出雲国風土記(いずものくにふどき)』には、現在の島根県の玉造(たまつくり)温泉のことが次のように記されている。 「この里の川辺には温泉が湧いている。この温泉の出る所はちょうど海陸の景勝を兼ねた所であって、男も女も、老人も、若者も、あるいは道路を往復し、あるいは海上を浜辺に沿って行き、毎日のように集まって市場(いちば)のような賑わいをなし、また、入りみだれて酒宴を楽 … 中国と日本の文化や習慣の違いについて解説する前に、まずは中国とはどんな国なのか、基本的な情報を紹介します。 中国は、 人口は約14億人で世界一を誇り、GDPは世界第2位の経済大国 です。 グローバルで活躍したい方のために、異文化理解についてお伝えするセミナー。前半は、異文化の違いを理解するためのカルチャーマップについて解説しました。後半は、世界の人々と比較して日本人はどういう特徴を持っているのか、違いに対する感度をどう身に… マレーシアでは日本のように「お客様は神様」の精神はありません。仕事中にお客さんを待たせてスタッフ同士がお喋りしていたりお菓子を食べていたり…。 文化の違いと構えてクレームしないであげてくださいね。 まとめ 【A.Mio先生の海外生活発見ブログ!】日英バイリンガル3歳児の可笑しくも高度な言い間違え, 【海外文化を知ろう!】Coming of Age-成人の日、海外ではこんなふうに祝う!, 【コミュニケーション力を高めよう!】”Why did you come here?”とその表現法. 日本と海外の文化の違いは、ときにことわざを見ると納得するヒントが隠されていることが多くあります。それもそのはず、実はことわざにははっきりとした文化の違いがよく表されているんです。今回は日本のことわざと海外のことわざを比較しながら、各国の国民 日本の異文化について作文を書かなければいけないんですけど日本の異文化って何がありますか? 日本の異文化。という意味が難しいですね。隠れキリシタン信仰沖縄の土着の信仰(洗骨とか)とか琉球文化アイヌ文化でしょうか? 発想のうえではどちらも同じ考え方から出発していますが、使う素材の違いによって、日本は木の文化を育て、ヨーロッパは石の文化を築きあげてきたのです。 木の文化=軽量文化、石・金属の文化=重量文化 と言い換えることも出来ます。 . 今までの他のブログにもありますが、私の感ずるその他のベトナムと日本の文化の違いについて一挙に挙げてみたいと思います。決して卑下する意図ではありません、文化の違いをお伝えしたい気持ちとしてご容赦下さい。初めてベトナムに来る方が驚かないように一助として。 作文の書き方がわかる。作文、読解、国語の通信教育。 ... 日本とアメリカには、考え方の違いも、文化の違いもある。例えば日本人の考え方だと、日本人は、外国人に日本人の考え方は分からない、と … 日本からも比較的すぐに行くことができるオーストラリアは日本人観光客もよく訪れる代表的な観光スポットとなっています。オーストラリアには文化の違いもあり、日本と異なる文化もたくさんあります。今回はオーストラリア観光の前に知っておきたい文化の違いを紹介します。 日本とアメリカとフランスの子どもたちに、同じひと続きの絵を見せて、作文してもらう。 国によって説明の仕方に違いがあるとしたら、そこからグローバルな読解力や表現力に関わる本質的なヒントが見えてくるかもしれない。 やはりというか、ほとんどの方が日本で異文化の違いやギャップを感じていたようです。 日本の小学校と海外の小学校の違いを紹介しています。国や文化が違うとこうまで違うのか!? 中国の古代文化の日本への影響は週知の、日本の文字の中の漢字は無言の証拠であり。 そして今直面して中日の2つの独立した国は、中国の文化と日本の文化はきっと存在異同点。 みなさん、こんにちは。 ハノイの11月は日本の秋と同じかそれよりもっとひどい具合で 寒暖の差が激しい です。. 英語を話すのが大変なのは、必ずしも言葉を学ぶのが大変だからだけではない。それは、日本人が受けてきた教育と、文化の違い、言語の性質も大きく関係している。 日本とベトナムの文化の違いー続き. 日本の文化とは主に何ですか?プリントを書いて学校に提出しなければならないのですが、全くわからなくて困っています。何か外国に発信できる日本の文化を教えてください。母と言っていたのは、おせち料理の意味や季節のイベント(ひな祭 日语论文范文:中日文化的差异. 島国である日本の文化の特徴には、自然に逆らわず、すべてを自然の流れに重んずるという思想を持ち合わせています。本記事では、そんな自然観に忠実な日本文化の特徴と西洋文化の違いを解説していき … 日本と外国の違いはたくさんあり、調べるととても面白いです!今回は、日本と外国の違いをさまざまな国に対してまとめてみました!食事や、生活、文化など一通り調べましたので参考にしてください! 海外と日本では文化の違いが顕著です。コミュニケーション、生活、食事にいたるまで、違いを知っておくことはとても大切です。様々な観点から海外と日本の違いを紹介していきます。 4月 - 入学、新学期、四月馬鹿(エイプリルフール)(1日)灌仏会(8日) 2015年07月29日 14:30 JST 交流会では出会ったことのない人たちがそこにいた。日本の国際交流は、基本的に留学生などの 帰国する前提の短期滞在者を誘って繰り広げられ、住民としての外国人は国際交流の蚊帳の外に いた。住民としての外国人と関係あるのは「人権」の場なのだと気づかされた。 上記の経験が私にと 要旨. “笹川杯”作文大赛 ; 日语写作材料; 日语写作技巧; 学习经验交流; 沪江日语 > 日语作文. 本文为网友原创,仅供参考,如有错误欢迎指正。 中日文化の違いについて. 11月 - 七五三、ブラックフライデー(第4金曜日) 3月 - 雛祭り(3日)、卒業、春の彼岸、ホワイトデー(14日) 日本はいわゆる気遣いを大事にする文化です。 言いたいことを察する・空気を読むというのは日本で暮らしていくうえでは欠かせない必須スキルといえるでしょう。 でも、この文化に慣れていると海外に行った時にちょっと面食らうことになるかも知れません。 基本的に外国人には察する・気 こんなに違う!日本独自のクリスマス文化. 日本語と英語の構造はあまりに違うため、英語を学ぶ我々は多大な苦労を強いられます。 文化の違いもあるため、学ぶ側だけでなく、教える側も努力が必要です。 日本で英語を教えている外国人教師が、生徒に英作文を書かせたところ、とんでもない内容だったのでブログに公開し 韓国と日本の文化の違いってどんなことがあるのだろうと気になっていませんでしょうか。韓国は同じアジアの中でも距離が近い上、ファッションやエンターテイメントの世界では共通する部分も多く、どことなく似たイメージを持っている人も多いでしょう。 関東と関西の違いについて紹介をしてみます。同じ日本なのに関西であって関東でないものなどたくさんありますよね。今回は、文化、言葉、性格、食べ物などを切り口に違いについて紹介をしてみます。また、東京と大阪だけでなく、西日本と東日本の比較についても調べてみましょう。 2月 - 節分、春分、春闘、バレンタインデー(14日) 9月 - 新学期、防災(1日)、秋分、十五夜、秋の彼岸、敬老の日(第3月曜) グローバルで活躍したい方のために、異文化理解についてお伝えするセミナー。前半は、異文化の違いを理解するためのカルチャーマップについて解説しました。後半は、世界の人々と比較して日本人はどういう特徴を持っているのか、違いに対する感度をどう身に… アメリカと日本の文化や歴史の違いについて紹介します。 意外と知っているようで知らないアメリカの文化や歴史の特徴を知って、さらにアメリカを好きになってみませんか? 生活習慣や食事など、日本とは違う魅力のあるアメリカについて詳しく知ってみましょう! 本項では日本の文化全般について、幅広く過去から現在への事象を取り上げ、概要の説明やリンクを示す。, 分類については、まだ発展・整理の途上であり、正式なものではない。日本発祥のもの以外でも、日本に深く根付いているものはこの記事に含まれる。, 文化という言葉は、芸術や学問など人間が生み出した高い達成度を持つもの(ハイカルチャー)を指すとともに、人間の社会が長年にわたって形成してきた慣習や振舞いの体系を指す。後者の意味では衣、食、住などの日常生活全般に関わる慣習や、芸能、道徳、宗教から政治、経済といった社会構造まで、その範疇は非常に幅広い。日本の文化も単純にひとくくりにできるものではなく、様々な要素を含んでおり、古代から中世にいたっては中国、朝鮮、インドを中心としたアジアの近隣諸国、そして西洋は大航海時代にあたる戦国時代・安土桃山時代と、明治以降の近現代では欧米からの影響を受け、吸収・取捨選択を繰り返し、様々な手が加えられて独特な展開を遂げている。日本の伝統文化は、日本由来の神道や、仏教や中国文化、西洋文化などの外来の文化を融合させながら、時代とともに変遷してきた。しかし、表面的には大きく変化していても、そこで生きる人々は伝統や習俗を引き継いでいるため、思考や行動の様式は変化がないことが多い[1]。, 日本文化を特徴的に示す概念として、「和(わ)」という言葉がしばしば用いられる(例:和語、和文、和歌、和服、和食、和風旅館など)。「和」は古くから日本を示す言葉で、漢・唐(中国)や洋(西欧)など外国からの事物に対比して使われる。また「大和(やまと)」という言葉が使われる場合もある(例:大和言葉、大和魂、大和男子、大和絵など)。「大和」は現在の奈良県を指す旧国名だが、同時に「ヤマト政権」の誕生した地であり、日本全体を指す。, 日本にも古くからシャーマニズムやアニミズム、太陽神崇拝、先祖崇拝といった汎神論的自然崇拝や精霊崇拝があり、多神教に基づく宗教文化がある。沖縄の信仰にもその古来の形態を残している。, 多神教に基づくとはいえ、この国独自の特徴があるとすれば、「道具や言葉、吐息にまですべてに命が宿る」という考え方であり、例えば針供養[2]、道具塚や言霊、息吹という表現に表れており、また侵略してきた敵さえも祀るという考え方(例えば、蒙古塚)もある。中華文化では儒教からの影響もあり「敵は死者でも鞭を打て、恨みは石に刻め」[要出典]などとするが、日本では「敵であっても死者には鞭を打たず、恨みは水に流す」とするのである。, 遠くインドを起源とする「仏教・密教」[3]を大陸から受け入れて、独自の仏教・密教文化を定着させてきた。さまざまな伝統や慣習のうちには仏教を起源とするものも多く見られ、古来の神道と相互に影響しあいながら日本の信仰や文化の基盤を形作ってきた。また、ヒンドゥー教は、ほとんど直接には日本に伝わってはいないが、仏教・密教に多大な影響を与えているので、日本の仏教や神道においてヒンドゥー教由来の神々が存在し文化的影響がある。, 他の東アジア諸国と同様に「儒教」[4]や「道教」も受け入れたが、その影響は中国や朝鮮半島ほどではない[5]。儒教は寄親・寄子の制度[要出典]や、戸主や家督制度などの社会制度に影響を及ぼしている。明治維新によって西洋思想に圧倒されたが、宮中の保守的な漢学者の影響によってその思想が教育勅語などに取り入れられた。道教は、そのものより陰陽五行や八卦や宿曜道などが奈良時代から平安時代に隆盛を極め、陰陽師の台頭と共に現在もその思想が風俗となって受け継がれているが、儒教と同様に日本独自のものに変化している。具体的な例としては、干支や家紋の九曜やちらし寿司の四色や五色の彩などが陰陽五行に基づいている。武道も神道が基軸となり、それに儒教や道教や禅宗などが加わって修練による開眼精神と哲学を持った芸になったといわれる。, 日本は永らく神道と仏教とを神仏習合(神仏混淆)させてきたが、明治初頭、神道と仏教は再分離され、廃仏毀釈の波の中で多くの仏教や神道の遺産が失われた。神道は国家神道とされて仏教や土着の習俗と引き離され、皇室を中心とする信仰に再編され、政治・教育と結びつけられた。日本の伝統仏教も、この時代に勢力を拡大した新宗教やキリスト教の脅威に対抗するためこれに協力し、江戸時代に引き続き日本の社会に強い影響力を持ちつづけた。大日本帝国憲法では信仰の自由が規定されたが、政府は「神道は宗教ではない」(神社非宗教論)という解釈に立脚し、神道・神社を他宗派の上位に置いた。しかし、第二次世界大戦後に国家神道は国家覇権の手段となったとされ、GHQの指示により神道は政治・教育と分離されて他の宗教と同列の信仰としての位置づけがなされた。仏教も「葬式仏教」と揶揄されるほどに宗教としては形骸化する傾向があり、日本人の日常の生活意識から、神道と仏教を中心とした文化的価値観は薄れてきている。, 純粋な宗教的価値観の具現化でないとしても、古来からの神道が礎となってその上に仏教・密教や儒教や道教、あるいはキリスト教[6]をも含め、さまざまな外来の宗教を混在させながら、今日ある日本の精神や文化の土壌は形成された。これらの宗教混在に基づく価値観は日本の風俗習慣、文化に深く根ざしており、祭礼、伝統芸能、武道、農業、林業、水産業、建築、土木、正月、七五三など、さまざまな場面に影響を及ぼしており、神道を主体とする宗教を抜きにして日本の文化や精神の本質は語れないという側面がある。, 現代世界が抱える諸問題において、このような日本的な宗教的価値観が有効とされる場合もあり、これを方法論としてみた場合、たとえば「里山」あるいは「鎮守の森」の文化や「もったい(物体)ない」の考え方は環境保全に対し、「大豆文化(倹約、醸造は神事)」の伝統は食糧危機に対し、問題の解決を示唆する可能性もある。いっぽう、急峻な地形と多雨により水の豊富さによって「すべてを水に流す」ともされてきたが、水質汚濁による環境問題や資源保全の観点から、その言葉の意義は薄れてきている。, 伝統芸能や伝統のスポーツ、あるいは日常生活におけるお辞儀・礼儀作法・食事作法などにおいて、広範に見られる特徴として「型(形)」の尊重という点が挙げられ、日本の美点ともされてきた。これらにはあらゆるところから取り入れてきた道徳(各学問からの影響が大きい)の影響や、人と衝突するのを避け和を尊ぶという心性から、無言の内に相手への敬意・配慮の念が込められていることも多い。近年では生活様式の欧米化により「エチケット」や「マナー」などに置き換えられ、これらの日本の伝統的な規範意識の形骸化を憂慮する声もある。, 縄文時代以前のはるか昔、北方からやってきた日本人の祖先が日本列島に定着してから、大陸や南方から渡ってきた人々が文化をもたらすことはあったと考えられるが、早い時期から大陸とは異なる日本固有の文化が育ってきた。日本語と系統関係が証明された言語は存在しない。, 前漢の時代頃から中国の王朝に積極的に朝貢し初め、先進文化国だった中国の文物を受け入れるようになった。金属器(玉、鏡、刀剣類など)や漢字、仏教などがその代表である。後には遣隋使、遣唐使が派遣され、留学生が先進文化を学び、日本に持ち帰ってきた。こうして日本固有の文化の上に外来の文化が取り入れられていった。, 9世紀半ばの承和年間の派遣をもって遣唐使が途絶し、894年に遣唐使が計画されたものの菅原道真の意見で中止になった。それ以降は、中国の文物(唐物)や文化などは中国人海商によってもたらされるようになり、貴族社会で唐物は珍重され続けた。それと同時に、外国からの影響が日本独自に消化されてゆき、「国風文化」時代を迎えた。貴族の女性の間で漢字からかな文字が生まれ、源氏物語や枕草子に代表される和歌や物語、日記文学など文芸が盛んになった。芸術の分野でも、法隆寺や唐招提寺の建築には中国などの影響が強く見られたのに対して、宇治平等院では日本人好みの表現になっている。こうした文化様式を和様と呼ぶ。, 該当する文化: 古墳文化、飛鳥文化、白鳳文化、天平文化、弘仁・貞観文化、国風文化、院政期文化, 古代末から中世に武士が台頭してくると、流鏑馬、犬追物など武士特有の文化が生まれ、合戦をテーマにした軍記物語(平家物語など)も生まれた。彫像も、力強い肉体を持った物へと代わっていった(金剛力士像等はその代表といえる)。都や農村では猿楽や田楽などの舞踊が発達した。平清盛の宋との貿易以降、日宋貿易が盛んに行われた。この時代には禅宗僧の往来がしきりで、禅宗とともに持ち込まれた文化(精進料理、水墨画、喫茶の習慣など)はその後の日本文化の発展に大きな影響を与えた。天竜寺船、勘合貿易により中国との往来は絶えることはなく、銅銭が大量輸入され、唐物が珍重された。室町時代は戦乱の世であったが、東山文化の時代を中心にして、猿楽(能)、茶の湯、書院(書院造)などが発展し、今日「日本的」といわれる文化の多くがこの時代につくられた。, 安土桃山時代にヨーロッパの新しい異文化がもたらされた(南蛮文化)。鉄砲が戦闘形式を一変させ、天下統一への道を開いたほか、外来語、天ぷらなど飲食物も伝えられた。イエズス会などの宣教師たちがキリスト教の布教を進めたが、徳川幕府がスペイン・ポルトガルの領土的野心を疑うと共に、特定宗教が国内における大勢力になることを嫌ったため、宣教師は追放され、次いで禁教の施策が取られた。こうして江戸幕府はキリスト教の禁止および鎖国の道を選ぶことになる。この時期には宣教師及び朝鮮出兵で捕虜となった技術者が活版印刷の技術を伝え、刊行本が世に出回り始めた。, 政権が安定し、「鎖国」によりオランダ・清・李氏朝鮮・琉球・アイヌ以外の外国と隔絶された日本では、天草・島原一揆の鎮圧以来平和な時期が長く続き、再び独自の文化が発達した。寺子屋や藩校の普及により読み書き算盤が広く浸透し、幕府奨励の儒学のほかに本草学などの自然科学が育った。庶民の間では芝居(歌舞伎、人形浄瑠璃)や刊行物(浮世草子、読本など)、そして浮世絵が愛好され、世俗的な文化が栄えた。大相撲興行が始まったのもこの頃である。また、日本が漢字文化の影響を受ける前の古代のことを研究することで日本本来のあり方を知ろうとする国学も興り、幕末の尊皇攘夷運動の思想的土壌を作った。, 鎖国体制の中でも、制限された形で中国・朝鮮との交流は続いていた。西洋との交流は厳しく制限されたものの、長崎の出島を通じてオランダとの交易が行われた。長崎から入ってくる中国文化や西洋文化は知識人の好奇心を刺激し、洋学や蘭学(医学)、漢方医学が発達した。この流れは、幕末に帝国主義時代の欧米の接近に際して対応する力となり、開国の原動力のひとつになった。, 幕末の開国、明治維新を経て、欧米の文物・制度を取り入れ日本の近代化を図ることが国家目標になった。新奇な風俗が次々にもたらされ文明開化の風潮が広まった。政府主導で積極的な西洋文化の導入が図られ、鹿鳴館時代には皮相的に急激な西洋化が図られたが、日本の伝統を見直そうという反動の動きも起こった。「和魂洋才」という言葉もよく使われた。啓蒙的な思想家が封建的な思想や習慣を否定し、西洋の政治制度、文物を紹介し、新聞、雑誌などのメディアや鉄道など交通機関の発達は各地に新しい文化を広め、庶民生活に大きな影響を与えた。しかし、都市部から離れた地域(農村部)では依然として、農業を基盤とした伝統的な行事や生活習慣が続いていた。, 大正時代頃には進学率の上昇などを背景に、都市を中心に洋風の文化が次第に浸透し、デパートに代表される消費文化、大衆文化が成立した。アメリカの大衆文化の影響もあって、都市にはカフェーや映画館などの享楽的な文化も広まり、エロ・グロ・ナンセンスが流行した。一方で貧富の格差も増大し、労働争議や社会主義運動が起こるようになる。都市のスラム化も社会問題となった。, 昭和初年の大恐慌により経済は疲弊し、農村は荒廃した。国民の期待は軍部に集まり、弱腰であると非難されていた政治家は信頼を失った。やがて日中戦争が始まると、共産主義・社会主義への弾圧が強まり、自由主義も弾圧された。戦意高揚のために日本及び日本民族の優秀さが説かれた。国際的には英米などから批判を受けて、日独伊三国同盟を結んだ。世界から孤立した日本は真珠湾攻撃により太平洋戦争を開戦し、第二次世界大戦に参戦、国家総力戦のため食料や資源が統制された。, 太平洋戦争末期には、連合国の海上封鎖と空襲、働き盛りの男性が徴兵されたことによる労働力不足のために、日本は深刻な食糧難と物資不足に見舞われることになる。戦争遂行のため大衆文化や伝統文化も政府に統制された。, 日本がポツダム宣言を受け入れて降伏し、アメリカ軍を主体とする連合国軍に占領されると、日本の大半はGHQの管轄下におかれた。GHQの指示により日本政府は特権階級、武装及び軍国主義の排除・解体・追放と産業・経済の民主化を進めた。旧植民地およびソ連軍占領地域からの引き揚げや戦地からの復員が進み、日本人は戦後しばらくの間は苦しい生活を強いられた。, 戦後はアメリカの近代文化が国民の憧れとなり、高度経済成長により日本は飛躍的な工業化と都市化を遂げる。これに伴い従来の生活習慣は革命的な変化をとげ、伝統的な生活習慣の多くが失われていった。しかし戦後日本はアメリカのコピーではなかった。アメリカの近代的な文化を受け入れながら、独自の日本的な形に昇華し、多彩で豊かな食文化、アニメや漫画などをはじめとする新しい日本の文化が生まれた。アメリカに次ぐ経済大国となった日本は自信を回復し、1970年の大阪万博では「人類の進歩と調和」が謳いあげられた。, 東アジアを除く諸外国では、近年にいたるまでもっぱら「サムライ」「ゲイシャ」などの一部の伝統的な文物が日本文化として知られていたが、バブル時代後の1990年代以降、諸外国にも現代的な日本のアニメや漫画が美しい、かっこいいなどと世界中から注目されるようになった。特にアニメ、漫画、映画、食文化は欧米やアジアの都市部に浸透し、それらに関する店や施設(寿司バーや漫画ショップ)が多数みられるようになっている, 日本文化は有史以来、中国文化圏に属し輸入文化・翻訳文化の側面を持ち、積極的に外国の文化を摂取し、これを在来の文化と融合して日本化することで独自の文化を形成してきた。しかし、同じく中国文化の絶大な影響を受けた韓国・ベトナムと異なり、政治的には中国の諸王朝の支配に入ったことは、7世紀以降一度もなかった。平安期と江戸期には外国との交流の機会が減少したが、この時期に日本独自の文化が顕著に熟成されたという特徴がある。, 強大な中華帝国唐が盛んな時代には、貴族は中国文化を模範とした天平文化を築き、留学生が学んできた先進文化が政策上の規範になった。漢文を流暢に読み書きすることは、貴族にとって重要なことだった。, 平安時代以降、「国風文化」が興ったが、この時期までの文化の中心は貴族と寺院であった。平安末期の平氏政権期から鎌倉時代にかけて日宋貿易が行われ、新しい仏教とともに精進料理や文人画などの中国文化が流れ込んだ。その後の日本の伝統文化にもこの時期に宋から取り入れられた文物の流れをくむものが多い。鎌倉時代には関東を中心にした武士の文化が京都の王朝文化と並び立つものとして勃興する。, 室町時代には日明貿易によって引き続き中国文化が持ち込まれ、この時期に輸入された織物や陶器、書画などは、現代に残る伝統工芸品の技術に流れ込んでいる。室町時代から安土桃山時代には、戦国大名により各地に地方色豊かな文化が生まれた。, 江戸時代、「鎖国」の世にも長崎を通じて中国との交流は続き、儒者は中国を理想化する傾向があった。また、蘭学が盛んになると、「日本」という国のアイデンティティを求めて古代日本へ回帰しようとする国学のような学問も興った。また、江戸時代は江戸・京都・大坂の3大都市を中心に町人の文化が栄えた時期である。, その後、近代日本の文化は、明治維新と連合国占領時代の2度、大転換期を迎えた(もっとも、これは都市部を中心とする視点であり、民俗学などでは、むしろ第二次世界大戦と高度経済成長によってもたらされた文化の断絶が強調されている)。われわれ現在の日本人がイメージする伝統的文化にも明治以降に生まれたもの(例:神前結婚)や俗に言う外国文化であるもの(例:“コウノトリが赤ちゃんを運ぶ”という伝説。これはヨーロッパの民話であるが、日本でも地域的に定着している)も多い。「明治維新以降-第二次世界大戦降伏まで」の時代には、帝国主義国が植民地争奪を繰り広げる国際環境の中、西洋の圧倒的な文明と先進文化を前に日本のアイデンティティをどう捉えるかが課題であった。, 第二次世界大戦以前の帝国主義時代には、日本を強国にするため積極的に西洋の文物や価値観を取り入れようとする動き(脱亜思想)と、独立のために伝統を強調しようとする動き(国粋主義)、そして西洋文明に対抗してアジア諸国の連合を目指す動き(アジア主義)が存在した。この3つの潮流はしばしば衝突し、極端な西洋崇拝になったり、日本文化のアジア進出に結びついたり、また西洋文明を蔑視するようになったりもした。最終的にはこの3つの流れは合流し、大東亜共栄圏へとつながっていく。, 第二次世界大戦後は、アメリカ文化を積極的に受け入れる(アメリカナイゼーション)動きが優位となり、日本文化のアメリカ化が進むものの、この3つの価値観は日本の外来文化をめぐる態度の底流として影響を与え続けていると見られる。, 日本文化、あるいは日本人を特徴づけると考えられる概念を中心にした日本文化論・日本人論も多く提唱されている(日本人論の項目を参照)。, 日本でも個人が自己の利益を図り、利益の対立する他者と競合するのは当然であるものの、一応表向きは、自己主張を抑える奥ゆかしさが美徳とされるので、そのような価値観の比較的薄い社会の人間と比べた場合、その表向きの建前を崩さずに、時には逆に利用して相手を出し抜いて自分の利益を達成することが多くなりがちといわれることが多い。これは他の『○○文化論』同様、ひとつのナラティブであるという異論も強い。真偽は別にして、具体的には以下に挙げたようなものがある。, 江戸時代から明治時代の日本には、多くの外国人が訪れ、あるいは居住しており、その人たちが残した記録や著作が多く伝わっている。ラザフォード・オールコック『大君の国』、アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』などは今でも読まれている。また、これらの著作によって近代西洋人の日本観について論じたものとして、渡辺京二の『逝きし世の面影』や、平川祐弘『和魂洋才の系譜』といった著作がある。, 日本文化がヨーロッパでまず注目されたのは浮世絵などの美術品であった。その後、非西洋国家として初めて近代化に成功し、日清・日露戦争に勝利した日本に対して世界的な関心も高まった。外国からイメージされた「日本」の文化は、特に欧米圏では、キリスト教文化とは全く系統の異なる文化への好奇心(エキゾチズム)から、ある一面が誇張され、あるいは中国などと混同され、ステロタイプ(ステレオタイプ、紋切り型)化されて伝わる傾向があり、日本人から見れば「偏った認識」と思われるものが多く見受けられた。近年では、アニメ、漫画、カラオケ、デジタルアート、コンピューターアートなどMade in Japanなどのポップカルチャーが海外で注目され、今までとは違った「日本」のイメージを持つ者も増えてきている。ハリウッド映画にも、本格的に日本を描こうとする作品が作られたり、日本映画をリメイクしたり、日本人監督を起用するなどの動きが見られる[要出典]。, 古く縄文時代の遺跡から見つかる勾玉などの装身具(アクセサリー)、日本神話に見られる三種の神器(勾玉・鏡)などから初期の衣類を含めた身体装飾には権威的・呪術的な意味があったと考えられている。, 後に律令制を導入すると官製を中心に本格的に身分・階級の違いを表すようになっていく。一時的に大陸文化を遮断した平安時代には国風の平安装束も発達した。, その後、時代によって衣装はめまぐるしく変わりながらも、身分によってある程度分類されていた。明治時代以降、軍隊や官庁、学校などから次第に西洋風の服が採用されるようになり、今日では日常的には洋服を着用し、晴れの日やめでたい日(「ハレとケ」)など和服を着る、といったスタイルが多くなっている。, 日本の料理は「和食」(学術的には「日本料理」)と呼ばれており、欧米や西アジアの料理とはかなり異なっているが、東アジアや東南アジア諸国には、日本と類似した料理、食材などが数多く見られる。, しかし、食のマナーの面では他の東アジア諸国と比べても独特なものがある。東アジア諸国での食事の仕方は鍋物や大きなお皿に盛った料理に皆で取り分ける食べ方が多くみられる。日本では平安時代の貴族の間で儀礼・酒宴として食された大饗料理がこの形態であり、主人と客が椅子に着座して机がおかれ、「台盤」と呼ばれる卓上に大皿の料理が置かれ、これを取り分けられた。, 中世には大饗料理に代わり、武家における儀礼・酒宴の料理として本膳料理が確立する。本膳料理は主人と客が床に着座し、個人専用の食器(属人器)に複数の料理を配膳する銘々膳が特徴とされる。, 他の東アジア諸国では取り箸を使わず、各人の箸で料理を取り分ける直箸が親愛の表現とされるが、日本では直箸はマナー違反である(最近は衛生上の理由から、東アジア各国でも取り箸を使う習慣が定着してきている)。また、碗や皿などの食器を持つことが許され、箸だけで食事をするのは日本だけとされる(箸を使う習慣のある他の地域では、汁物や米を食べる時に匙を使うのが一般的である)。蕎麦やうどんなどの汁麺を音をたててすすることが許されていることなど、日本以外では見られないような習慣が多い[要出典]。近年は低脂肪の日本食が評価され、健康的な食事とも言われる。, 郷土料理は、比較的狭い地域でも山間部と平野部、沿岸部と内陸部で食生活の違いがあるほか、江戸時代から明治初期の廃藩置県前までの藩政時代に基盤をもつものが多い。このため、食文化は都道府県よりも細かい地域ごとに多彩な食文化が存在している。, 今日の日本人は朝・昼・夜と3回の食事を取るのが一般的である。保存技術の発達により、日本のどこでも新鮮な海産物が手に入る(日本は魚介類の消費が世界一である)。家庭で料理するより、外食・中食で済ませる機会も多くなっている。20世紀以降、海外の食文化を積極的に取り入れたために、伝統的な和食のみを食べる人々は減ってきている。, 日本人が魚介類や卵を生で食べること、海草を食べること、それらの食文化を奇異に感じる日本国外の人もいる。, また、各食の分野にはそれぞれ技があり、長年の訓練と経験を積んだ専門職人がいる(例:寿司職人)。, 日本各地では、古くからその土地にあった建材を利用した住宅が建てられてきた。そのような地域差がありながらも、日本全国どこでも木を使った住宅(日本家屋、和風住宅)が建てられてきた。この背景には、豊富な木材と、湿度の高い気候、木の性質をよく知った技術者の存在などがあった。, 住宅は近年までほとんどが木造であったが、現在は鉄筋コンクリート造や鉄骨構造の住宅(戸建て、集合住宅)も多くなってきている。また、木造住宅でも現在は輸入材の使用が一般的で、品質の規格化・均一化が進んでいる。, 日本各地で、「ご当地~~」と呼ばれる土産品があるが、それらの日用品は、地域の自然や歴史、産業、伝統などに見合った製品を作ろうとしてきた地域の人々の工夫の賜物である。また、日用品も、現代では多くが大企業の工場で作られるようになったが、その技術も、古くから培われてきた伝統工芸品の技術を応用して生産されているものが多い。, 宗教意識が薄れている現代にあって、葬式は、特に宗教上の信念があってキリスト教式や新宗教の様式で行われる場合、また神式の神葬祭を除けば、仏教の形式を用いる仏式葬儀が行なわれることが多い。, 中世以降、庶民の間でも家が成立し、その繁栄や継続が重視された。また、中世は戦乱や災害が多発した時代であり、庶民は弔いを強く求めた。鎌倉仏教の僧侶は、そのような状況を踏まえつつ、身分の貴賤に変わらず庶民を救う観点から、葬式や祖先供養を積極的に行うようになった。その結果、日本の仏教は大衆化する過程で「葬式仏教」となり、庶民は菩提寺と檀家の関係が確立していき、江戸時代に一般化した。その状況が、現代まで引き継がれた結果のもので、純粋な宗教行事というより、習俗化したものといえる(現代においては「葬式仏教」は、葬式代や戒名代の高さが注目され、否定的な意味合いでとらえられることもある)。, 近年はビジネス化された仏式葬儀に疑問を持つ人びとも増えつつあり、簡素な神式の葬儀も増加している。さらに自然葬(散骨、宇宙葬、森林葬など)もひとつの形式として浸透し始めている。, 日本のこよみについては、Template:季節の話題、Template:今日のこよみ、Template:今日は何の日も参照。, 1月 - 正月(三が日は1日〜3日)、正月飾り、御節料理、雑煮、初夢、年賀状、初詣、七草粥、新年会、鏡餅(鏡開き)、左義長、書き初め(2日)、姫始め(2日)、仕事始め(4日)