2020年6月30日 【お詫び】佐賀中部広域連合だよりvol.20の訂正について: 2020年6月9日 令和2年度第1回介護認定調査員新規研修の開催について: 2020年5月25日 佐賀中部広域連合議会の5月臨時会の議事日程をお知らせします。 2020年5月25日 1.人口・世帯 国勢調査より. Yahoo! 「昔はこの地区にも30軒ぐらい商店があったが、今は4軒だけ。車を持っていない人は満足に買い物もできん」。佐賀県唐津市肥前町高串区の武田良徳区長(73)はため息をついた。主力産業だった漁業の不振もあり、2005年に1300人を超えていた高串区の人口は今年1月、908人にまで落ち込んだ。, 「仕事がないから、若者はみんな出ていく」と武田さん。明治時代にこの地域でコレラ撲滅に尽力した増田敬太郎巡査を敬う住民は毎年、夏祭りで巡査の山車を引いて地域を練り歩く。「山車を引く人も少なくなった。このままでは祭りも維持できなくなる」。武田さんの悩みは深い。, 市の人口は昨年12月、11万9954人となり、05、06年の市町村合併後初めて12万人を切った。約15年間で1万5千人以上減少し、市の推計では65年に5万8761人とほぼ半減する見通し。人口減少対策は待ったなしの課題だ。, 一方で、唐津に魅力を感じ、移り住む人もいる。昨年12月まで札幌市で暮らしていた鈴木敏明さん(66)もその一人。「温暖な場所に住みたい」という妻有子さん(66)の願いから九州各地を旅行し、候補地を探した。知人の勧めで唐津を訪れ「野菜も魚も酒もおいしい」と引かれた。最長1カ月、市内に居住する市の「お試し移住」を体験し「唐津は人も良いし、相性が良い」と移住を決めた。, 市によると、お試し移住などの支援を受けて移住した人は、16年度からの4年間で51世帯95人。移住は企業誘致や、婚活を後押しする出会い応援などと並ぶ人口減対策の大きな柱となっている。, 市から移住促進事業を受託しているNPO法人「ネットワークステーションまつろ」によると、近年の移住者は20~40代が7割超。新型コロナウイルスの感染者が多い首都圏からの相談が増えているという。「唐津は海も山もあり、福岡市にも近い。多様性が移住者を受け入れるポテンシャルになっている」。担当の三笠旬太さん(33)は話す。, とはいえ、市の推計では転出者が転入者を上回る社会減は当面、年300人以上のペースで続く見込み。移住者を増やすだけでは人口減に歯止めがかからないのも現実だ。三笠さんは「街が魅力的だと、移住したいと思う人の数が自然に増える。街自体の魅力を高め、発信する取り組みも大切だ」と強調した。 (野村創), 唐津市長選、市議選が24日に告示、31日に投開票される。市政の課題を追いながら、約12万人の人口を抱える県内第2の都市の針路を探った。. 2. 佐賀市 3 地域再生計画の区域 佐賀市の全域 4 地域再生計画の目標 本市の人口は、1995年の246,674人をピークに緩やかに減少を続け、2015年の 国勢調査では、人口は236,372人となっており、今後も減少していくことが見込 まれる。 2020.04.17 佐賀市ごみカレンダーデータ 2020.05.25 佐賀市立公民館に係るデータ群 2020.12.16 佐賀市の祭り・行事・花火大会 2020.04.16 佐賀市_校区別男女人口統計 2020.05.25 佐賀市指定緊急避難場所 神埼市の人口は、平成2年から平成27年までの25年間では、32,502人から31,842人へと約2.0%減少しています。 Google 総人口: 27,819人 (推計人口、2020年11月1日) 人口密度: 248人/km 2: 隣接自治体: 嬉野市、杵島郡 白石町、藤津郡 太良町 長崎県 大村市: 市の木: キンモクセイ: 市の花: サクラ: 鹿島市役所; 市長 総務省が24日公表した11月の人口移動報告によると、東京都は転出者が転入者を4033人上回り、5カ月連続で人口流出に当たる「転出超過」となった。 佐賀県の面積は全国47都道府県中42位と狭いほうです。佐賀県内の市区町村の面積を見てみると広さランキング1位は唐津市で県の面積のおよそ5分の1を占めています。佐賀県内の市区町村の面積ランキングや佐賀県と他の都道府県との比較をご紹介します。 MapFan 僕を1人にせんで-。北九州市小倉南区の戸次(べっき)隆子さん(77)は、昨年7月に亡くなった夫、邦夫さん(享年86)の口癖が頭... 熊本県荒尾市で10日に開かれた成人式の会場では、晴れの日を迎えた新成人の席に、振り袖姿の女性を描いた1枚の油絵が置かれた。3年前、いじめを苦に自ら命を絶った県立高3年の女... 「福岡市内の老人ホームに入居していた認知症の叔母の口座から、計約1140万円が複数のコンビニなどで引き出されていた」。めいに当たる女性から、西日本新聞「あなたの特命取材班... 軽乗用車の購入時に5年後の残価(下取り価格)を設定し、それを差し引いた額を分割払いする「残価設定型」ローンを使った男性から、「こちらに全く非のない事故に巻き込まれ、残価が... 「コロナ禍で換気のために窓を開けて寒いのに、防寒着の着用が認められない」「一日中、窓の開放が必要なのか」-。日増しに寒くなる中、学校の換気や防寒着に関する調査依頼が本紙「... 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、佐賀県唐津市は国が緊急事態宣言を発出した地域の住民らに向け、観光やレジャー、帰省を目的にし... 12万都市の進路唐津市長選・市議選(2)佐賀県内に雪が降り積もった今月8日。黒毛和牛の子牛の初競りがあった多久市のJAさが畜産センターで、中山英一さん(51)=唐津市=が... 佐賀県は19日、19人が新型コロナウイルスに感染したと発表した。県が確認した感染者は累計810人となった。. 佐賀市人口の現状分析 (1) 総人口の推移 1947(昭和 22)年国勢調査による佐賀市の人口は18.7 万人であり、終戦による戦災罹災者の復帰、復 員の影響で、1940(昭和 15)年調査時よりも 4.2 万人増加している。1947(昭和 22)年から 1949(昭 九州新幹線・長崎ルートについてです。長崎ルートへの期待の声や課題などを地域の声ととともに、シリーズでお伝えします。まず、この長崎ルートは、博多と長崎をつなぐルートです。国やJR九州、長崎県のほか、県内の一部の沿線自治体はフル規格での整備を望んでいます。 大東建託株式会社(本社:東京都港区、代表取締役社長:小林克満)は、過去最大級の居住満足度調査を行い、「いい部屋ネット 街の住みここちランキング2020<佐賀県版>」 「いい部屋ネット 住みたい街ランキング2020<佐賀県版>」として集計しました。 佐賀県の面積は全国47都道府県中42位と狭いほうです。佐賀県内の市区町村の面積を見てみると広さランキング1位は唐津市で県の面積のおよそ5分の1を占めています。佐賀県内の市区町村の面積ランキングや佐賀県と他の都道府県との比較をご紹介します。 NAVITIME Mapion 各都道府県の中で、人口・面積・人口密度がそれぞれ最大(トップ)の「市」のランキングで、佐賀県のデータを強調しています。人口は、2020年10月1日の推計人口によります。 ゼンリン, 佐賀県(さがけん、英: Saga Prefecture)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地及び最大の都市は佐賀市。, 唐津・伊万里・有田などは古くから陶磁器の産地として有名で、玄界灘と有明海の2つの海に接する。令制国の肥前国東部に相当する。明治の府県制成立の際、同国は佐賀県と長崎県の2県として分立した。九州地方の中では最も経済規模が小さい県でもある。, 佐賀県は、日本の中では西部(西日本)あるいは南部(南日本)に位置しており、九州地方の中では北部(北部九州)または西部(西九州)に位置している。人口・面積共に九州7県の中では最も少なく、また人口・面積ともに全都道府県中42番目である。しかし人口密度は全都道府県中16番目と中位にあり、九州でも3番目に高い。, 県内の地域区分は佐賀藩と唐津藩に二分されていた歴史的経緯から、唐津市を中心とした北部(北西部)と佐賀市を中心とした南部(南東部)に分ける2区分が最もよく用いられる。より細かく分ける場合は、北部・東部・西部の3区分や三神・佐城・杵藤・唐松・伊西の5区分が用いられる。, 県名の認知度調査においては2002年(平成14年)の調査結果では(小学校4年生~小学6年生対象)第44位、2004年(平成16年)の調査結果では(中学生対象)で第30位となっている[1]。, 佐賀県の形は、凹凸のある逆三角形に近い。北西部はリアス式海岸と砂浜の玄界灘、南東部は干潟と干拓地の有明海という、海岸の様子が全く異なる2つの海に接している。有明海沿岸から筑後川沿いには県の面積の3割を占める佐賀平野が広がり、玄界灘から佐賀平野西部までは杵島丘陵などの丘陵地帯である。北東部に脊振山地、南西部に多良岳山系といういずれも1,000m級の山地があって丘陵地帯を挟んでいる。, 人口が多いのは佐賀市(約24万人)、唐津市(約13万人)、鳥栖市(約7万人)などであるが、小規模な都市が多く点在し経済的・人口的に求心力の強い都市が無いという特徴がある。県面積の3分の1を占める南東部の佐賀平野に県人口の半数である40万人が暮らしている。玄界灘沿岸や杵島丘陵の盆地にも人口集積があって平地に偏っていることを除けば人口分布に大きな偏りはない。2005年の国勢調査によれば、総人口に占める DID(人口集中地区)人口の比率が28.4%と島根県に次いで47都道府県中2番目に低い。人口が都市に偏らず比較的分散している傾向にある。土地利用の特徴として耕地が県面積の39%に上り国内平均の2倍と高い割合である一方、森林・荒地は同49%と国内平均の7割に留まっている。相対的に平野の割合が高いという地形の影響が現れている。, 県北東部を東西に連なる脊振山地は唐津市浜玉町から鳥栖市までその稜線が福岡県との県境になっている。鳥栖市で山脈は途切れるが、その延長線には福岡県の耳納山地が延びている。鳥栖市・基山町は隣接する久留米市とともに山地の合間にあり、北の福岡平野と南の筑紫平野を結ぶ道路網・鉄道網の分岐点となっている。交通の要所かつ工業地域で福岡都市圏のベッドタウンでもあるため、住宅開発が進んでおり人口減少が続く県内では例外的に人口増加率が高い。山地は南方に広がっていて、県中央部に位置する天山まで連なっている。, 脊振山地の南麓は緩やかな洪積台地からなる細長い丘陵地帯で、それより南側には幅の広い平坦な沖積平野である佐賀平野が東西に広がっていて県の東部から中央部を占める。佐賀平野は筑紫平野の西半分を指す別名で、古くより穀類の生産が多い穀倉地帯である。筑紫平野の中央を縦断する筑後川が福岡県筑後地方(筑後平野)との境である。平坦な低地が内陸まで広がり大小多数の河川が流れるため20世紀半ばまで洪水被害が頻発していたが、治水が進んだことにより現在は被害が大きく抑えられている。佐賀平野の南には有明海があり、遠浅の広い干潟が広がり干潟独特の生物相がみられる。沿岸には江戸時代以降の干拓により造成された地域が分布している。県内の干拓面積は江戸時代から累計100km2前後に達しており、佐賀平野の1割・県面積の4%程度に達する。, 北西部は日本海と東シナ海の接続水域である玄界灘に面する。海に突き出た東松浦半島(上場台地)や北松浦半島は玄武岩で構成された溶岩台地であり、温暖で部分的に照葉樹林も分布する。リアス式海岸で半島や離島が点在、唐津湾や伊万里湾には砂浜が分布する。この一帯の海岸沿いは玄海国定公園に指定され、唐津城や呼子などの観光地がある。, 玄界灘沿岸の河口低地より南側、県南西部には杵島丘陵が広がり、長崎県との県境をなす多良岳山系へと続く。杵島丘陵には芳ノ谷層(始新世)や佐世保層群(漸新世後期)の石炭を含む層(挟炭層)があり、かつて炭鉱として栄えたが閉山により急速な地域衰退と人口減少を経験した。また、有田泉山で陶石が採れたことをきっかけに創始された伊万里焼(有田焼)は、県を代表するブランドである。武雄温泉や嬉野温泉などの温泉街も点在する。, 多良岳が活動していない火山であるほかは、県内に火山はない。地震の被害を受けることは少ないが、梅雨などの大雨による洪水、台風の被害は多い。また、森林面積の3割強を占める自然林・二次林のほとんどが常緑広葉樹林で、玄界灘沿岸部には照葉樹林も見られる。残りの7割弱はスギとヒノキを中心とする人工林で、森林面積に占める人工林率66%(2002年)は日本の都道府県の中で最も高い。, 佐賀県は日本の中では比較的気候が温暖であるが、冬の寒さは緯度の割りには厳しく東京よりも寒い。2016年1月25日には県内全観測地点で真冬日を観測した。日本を広域的に見た場合、県内全域が太平洋側気候に入るが、北部の玄界灘沿岸部は曇が多いが、降水量の面で日本海側気候とは明確に異なる。台風の通過・被害が多いが、九州のほかの県と比べると少ない方である。県内の気候は大きく3つに分かれる。, 現在佐賀県内には10市6郡10町、併せて20市町がある。2004年(平成16年)12月時点では7市8郡38町4村の計49市町村だったが、市町村合併により、最後の合併が行われた2007年(平成19年)10月1日に現在の数となって市町村数は半分以下に減少した。合併ですでになくなった市町村については、佐賀県の廃止市町村一覧を参照のこと。, なお、2006年(平成18年)3月20日に脊振村が神埼市になったのを最後に、佐賀県内の村は全て消滅した。佐賀県では、江北町が「まち」としている他は、「町」はすべて「ちょう」と読む。, 都道府県別の面積順位が42位と小さな県であり県全体を一つの地域とすることも多いが、大きく分ければ佐賀平野を中心とした南部と東松浦半島を中心にした北部に分けられる。また、さらに細かい区分では佐城(佐賀市・小城市・多久市)三神(鳥栖市・神埼市・三養基郡・神埼郡)杵藤(武雄市・鹿島市・嬉野市・杵島郡・藤津郡)唐松(唐津市・東松浦郡)伊西(伊万里市・西松浦郡)の5地区に分けることが多い。, 県名である「佐賀」は、1871年(明治4年)の廃藩置県の際県庁所在地となった佐賀郡から採られた。古来は「佐嘉」と「佐賀」両方の表記が見られたが、1870年(明治3年)に「佐賀」に統一された。古い「佐嘉」の表記は佐嘉神社などに残されている。, 佐賀郡の由来は諸説あり、『肥前国風土記』における楠樹にまつわる「栄の国」伝説や同じく風土記の賢女(さかしめ)伝説によるものがしばしば挙げられる。クスノキは、県内各地に名木が所在し「県の木」に指定されるなど縁が深い。また、傾斜地を指す「坂(さか)」、潮汐作用などで水が逆流する「逆(さか)」、砂丘地を指す「洲処(すが)」の転訛説などもある。, 旧石器時代の遺構がいくつか発見されている。多久市の三年山遺跡や茶園原遺跡などでは、近くの鬼ノ鼻山産のサヌカイトを用いた狩猟に特化した尖頭型の石器が出土している。伊万里市の腰岳遺跡群は黒曜石の産地で、ここから旧石器時代後期 - 縄文時代に産出された黒曜石が本州 - 沖縄 - 朝鮮半島南部にまで広がっていることが確認されている。また佐賀市の東名遺跡では縄文時代前期にあたる7,000年前の網籠、木製装身具、貝塚等の生活遺構がまとまって出土している。, 県北西部の玄界灘に面した地域は福岡県北西部と並んで、大陸方面から伝来した稲作の日本における発祥地域とされ、宇木汲田遺跡では縄文時代晩期の炭化籾、菜畑遺跡では縄文時代晩期の炭化米や水田跡が見つかっている。, 『魏志倭人伝』に見える「末廬国(まつらのくに)」が現在の唐津地方にあったとされ、大陸由来の青銅器や銅器が多数出土する遺跡が点在する。また、吉野ヶ里町・神埼市の丘陵地帯には弥生時代の大規模環濠集落である吉野ヶ里遺跡があり、その近辺にも九州北部に特徴的な甕棺墓が多く見つかっている。, また、古墳時代初期の建造の前方後円墳である唐津市の久里双水古墳をはじめ、東松浦地区や佐賀平野北部には幅広い年代の古墳が分布している。665年には基山町と福岡県筑紫野市の境に古代山城の一つである基肄城が築かれ、防人を招集して大宰府防衛線の一角を担った。また同じ頃、武雄市のおつぼ山神籠石や帯隈山神籠石などの山城と考えられる遺構も成立している。この頃(7世紀末まで)までには令制国として、今の長崎県本土と佐賀県全域を領域とする肥前国が成立した。, 鎌倉時代から室町時代にかけて、百以上の氏族が地頭として配置されていたと考えられている。その中でも規模が大きかったのが、九州千葉氏、高木氏、綾部氏、松浦氏、少弐氏、波多氏、後藤氏などであった。また、玄界灘沿岸は松浦党の影響力も強かった。この頃の代表的遺構としては、南北朝時代に建造された大きな環濠を特徴とする平城である、神埼市の姉川城がある。, 戦国時代に入ると龍造寺氏が一気に勢力を伸ばし、肥前・肥後北部・筑後・筑前南部まで領地を広げた。しかし、戦国末期には島津氏の攻勢が強まり、沖田畷の戦いによって龍造寺隆信が没するとその勢いを失い領地を少しずつ狭めていく。ただ、豊臣政権による1587年(天正15年)の九州国分によって、現在の佐賀県内のほとんどが龍造寺氏の領下に入り版図が決まる。, 1591年(天正19年)には東松浦半島に名護屋城が築かれ、文禄・慶長の役の拠点とされた。同城は両戦役の後役目を終え、一部が唐津城築城時に利用されるなどして数年で解体された。一方龍造寺領内では隆信の没後鍋島直茂が国政の代行を行うようになって徐々に勢力を増し、1607年(慶長12年)には龍造寺氏の支配領をほぼすべて鍋島氏が継承して佐賀藩主となった。この前後に両一族の確執があり、鍋島藩の化け猫騒動の話を生み出したともいわれている。一方、唐津藩では波多氏が改易されて寺沢氏に換わり、唐津藩の初代藩主となった。, 江戸時代には、佐賀藩、その支藩である蓮池藩、鹿島藩、小城藩の3藩、および、唐津藩が置かれていた。そのほか、現在の鳥栖市・基山町付近に対馬府中藩の田代領、唐津市浜玉町付近に同藩浜崎領があり、それぞれ対馬府中藩の飛地となっていた。また、現在の唐津市浜玉町海岸部や唐津市南東部などが幕府直轄領となっていた。, 佐賀藩およびその支藩は鍋島氏とその庶流家、龍造寺氏の分家などによる支配が続き、政治的には比較的安定していた。しかし、長崎の警備費用がかさむなどして財政は当初から厳しく、享保の大飢饉や1828年(文政11年)のシーボルト台風による甚大な被害はそれに拍車を掛けた。ただ、広大な有明海の干拓によって農地を拡大できるという地の利を生かして江戸時代初期から盛んに干拓を行ったことで、1840年代には約67万石と、200年前の2倍近くにまで石高を伸ばすことに成功している。また、19世紀中頃に入って鍋島直正は財政の建て直しに努め、役人の削減、伊万里焼や茶・石炭といった特産品の保護育成に努めた。また、地理的に長崎に近いことや長崎警備を担当していた関係などから海外の情報の入手が比較的容易であったため、反射炉や蒸気機関車模型といった先進的な科学技術の実験・研究も進んでいた。, 一方の唐津藩は寺沢氏が島原の乱の影響を受けて改易され、その後も領主が大久保氏、大給松平氏、土井氏、水野氏、小笠原氏と目まぐるしく変わり、政治はあまり安定していなかった。寺沢広高は松浦川の改修を行うなどしたが、その後水野忠任の代の1771年(明和8年)には虹の松原一揆が起こるなどした。, 佐賀藩は戊辰戦争以降、明治維新に尽力する人物を多く輩出した。明治維新期に活躍した大隈重信・副島種臣・大木喬任・江藤新平・佐野常民・島義勇の6人に、彼らを育てつつ幕末期に活躍した鍋島直正を加えて『佐賀の七賢人』と称することがある。幕末時に薩長土の志士たちが中心であった明治新政府は、戊辰戦争半ばから肥前有志を仲間入りさせ「薩長土肥」体制としたため肥前出身者も明治政府の主要官職を占め続けていたが、藩閥打倒を叫ぶ民権派の影響などもあり大正以降は薩長土同様に藩閥的な勢力ではなくなった。, 1871年の大規模府県統合時、旧肥前国の範囲は伊万里県(のちの佐賀県)と長崎県に二分された。このような処分は全国でも2例だけで、他は旧武蔵国(埼玉県・東京都・神奈川県北東部)や旧摂津国(大阪府北西部・兵庫県南東部)である。これには、日米修好通商条約で開港の対象となった5港を管轄する県の領域をできるだけ狭く収める目的があったとされている。現在の佐賀県が成立するまで、明治初期には統廃合が繰り返され、1876年(明治9年)には全県が他県に併合される事態も起きた。全県併合の背景には、1874年の佐賀の乱への処分の意味があったと言われている。併合後の根強い復県運動によって、7年後の1883年(明治16年)に佐賀県が復活する[4]。, 明治時代には殖産興業の一環として杵島や唐津一帯の炭鉱では機械の導入による増産が進められ、鉄道の建設がそれを後押しした。1889年(明治22年)12月11日に現在の鹿児島本線にあたり県内区間を含む博多 - 千歳川(現在は廃止)間が開業。1891年(明治24年)8月20日には鳥栖 - 佐賀間、1895年(明治28年)5月5日には武雄まで、1897年(明治30年)7月10日に長崎県佐世保市早岐までそれぞれ延伸して現在の長崎本線・佐世保線に当たるルートができた。また1898年(明治31年)8月7日に九州鉄道西九州線有田 - 伊万里間に当たるルートが開業、1898年12月1日から1903年(明治36年)12月14日にかけて順次現在の唐津線に当たるルートが開業した。1916年(大正15年)には佐賀市に佐賀紡績(後の大和紡績佐賀工場)が設立、1920年には従業員1,500の工場へと拡大するなど、近代化により製造業が発展した。一方では、各地で労働環境の問題なども生じるようになった。, 農村では近代化は顕著ではなかったが、1922年の電気灌漑導入をきっかけとして品種改良や肥料導入が急速に普及したことで米は大幅な増産となり、1933年(昭和8年) - 1935年(昭和10年)には1反(10a)当たり収量日本一を記録、「佐賀段階」と呼ばれ、主産業であった農業の発展とともに人口も増加した。, 県内の都市は工業集積が進んでおらず米軍の攻撃の優先順位が低かった上に、太平洋戦争末期の空襲の被害は県内最大の攻撃目標である県都佐賀市への誤爆も重なり近県に比べて少なかったが、戦災を免れた故に都市基盤が旧態依然で戦後の発展も著しいものではなかった。商業の発展があったものの、従事者や生産額ともに依然として第一次産業の比率が比較的高い農業県であった。この頃災害復旧費などの財政支出増加から県財政が悪化し1956年度から財政再建団体に転落、財政再建策としての大規模な教職員削減を背景に佐教組事件が発生するなどしている。1960年代には、治水・灌漑の進展と集落協働による農法改善を原動力とした「新佐賀段階」が起こり、1967年に10a当り収量542kg(全国平均403kg)を記録するなど、農業は発展を見た[5]。, しかし、1960年代後半より減反が進んだことで米中心の農業は打撃を受け、加えて炭鉱の閉鎖が加速し、多久・杵島・東松浦などの旧炭鉱地域を中心として、高度経済成長期に急速な過疎化が進んだ。これに対して1970年代以降、農業は米だけではない野菜や果実などへの多品目化に移行し、また佐賀平野では二毛作による麦の生産が浸透して農業の維持を図った。工業では、高速道路の整備以降は高速周辺での工場誘致が各地で起こった。これによって、鳥栖市を中心とした県北東部では集積した製造業が基幹産業へと成長した。1990年代からは半導体や自動車部品産業が割合を高めている。, 佐賀県の人口は2012年4月現在、約84万3千人で全都道府県中42位(6番目に少ない・九州・沖縄地方の中で最も少ない)。合計特殊出生率 1.56(2002年)は同4番目に高く、年少人口(0 - 15歳)も 15.8%(2002年)と同3番目に高い。また人口ピラミッドを見ると18歳までの人口割合が比較的高く、20歳前後での進学・就職による転出が多いことが特徴である。これに合わせる形で生産年齢人口(16 - 64歳)は 62.8%(2002年)、同38番目と割合が少ない。高齢者人口(65歳以上)は 21.4%(2002年)、同21番目と中位にある。平均寿命は男女間で差があって、男性は78.31歳・同32番目で国内平均の78.79歳よりも短く、女性は86.04歳・同17番目で国内平均85.75歳よりも長い(平成17年(2005年)都道府県別生命表)。, 県人口(後述)は戦前の60万人台から、第一次ベビーブームを経て1954年(昭和29年)頃に97万7,000人とピークを迎えたが、高度経済成長の進展とともに急速に減少して1973年(昭和48年)には82万2,000人と底を打った。その後緩やかに回復して80万人台の半ばを推移し、1990年代後半以降は減少し続けている[7]。また2007年の推計によると、2020年に80.4万人、2035年に71.2万人に減少すると予想されている[8]。人口減少と少子高齢化が進行しているものの、出生率が高いため少子化は比較的緩やかである。, 衆議院の小選挙区は第47回衆議院議員総選挙から1つ減らされ県全体で2に。参議院では、全県で1区を構成。, 2007年度(平成19年度)の県内総生産は3兆115億円である[22]。47都道府県では第43位であり、世界で85位前後の「国」に相当する経済規模を有している[23]。, 産業別就業者数では、他の都道府県に比べて第一次産業の割合が多いことから、農業県と言われることも多い。, 佐賀平野を中心に穀類を中心とした農業が、入り江の多い玄界灘に面する北西部では果樹農業や畜産、沿岸漁業が盛んである。有明海に面した県南地域では海苔の養殖が盛んである。, 佐賀県は、県の面積に対する耕地の割合(耕地率)が24%、後述する二毛作の影響で耕地面積に対する作付面積の割合(耕地利用率)が133%(1986年(昭和61年)から20年以上連続で全国1位)[要出典]と、ともに日本全国の中でも高く、農業が盛んな県である。, 主要農産物の米は古くより、特に力が入れられている。1930年代には、耕地整理と電気による機械灌漑の導入によって1反当たりの収量(反収)が日本一となり[要出典]、その原動力となった効率的な農業手法の改良は「佐賀段階」と呼ばれた。1953年(昭和28年)の大水害等を受けて治水と平行して利水が展開されたことで1950年代に大規模灌漑施設が整備され、さらに佐賀平野で古くから根付いていた集落共同を生かして農法の改良や統一を行ったことで、1960年代にも反収日本一となった。1970年代頃まで米が県の農業生産額の半分以上を占めていたが、減反の流れなどから米を取り巻く環境は一変した。県などによる大規模な耕地整理により効率化が図られたものの、転作と多品目化が進み、2000年代には25%程度に減少した[要出典]。一方で、野菜・果実・畜産物の占める割合は約6割に上昇した。また、米の生産額の割合は減っているが、依然佐賀県の耕地の4分の3は水田であり、米作りは盛んである。品種別ではヒノヒカリ、コシヒカリ、夢しずくなどが多い。近年は高温登熟障害による減収が頻発しているため、高温に強い「さがびより」の生産が拡大されている。また、ヒヨクモチを中心としたもち米の生産は非常に多く、生産量では全国1位(2002年(平成14年))となっている[要出典]。, 佐賀平野は米だけではなく大豆や大麦など、農産品に占める穀類の比率が高い穀倉地帯である[要出典]。佐賀平野では、夏の表作として稲を栽培する一方、温暖なため冬でも早い生育が見込め、冬の適度な乾燥があることから、冬の裏作として小麦や大麦を栽培する二毛作を行っている。ビールや焼酎の原料などになる二条大麦の年間収穫量は34,000トン(2006年(平成18年))で全国最多[要出典]。, 近郊や西日本を中心とした大都市向けの野菜類の生産も多い。野菜では、タマネギ、レンコン、アスパラガスの生産が多い。塩害に強いため干拓地で多く栽培されるたまねぎの年間収穫量は162,400トン(2006年(平成18年))で全国2位[要出典]。脊振山地(筑紫山地)では、標高が高いため降水量が多く冷涼な気候を生かして小規模ながら高原野菜の栽培も行われている。, 果実では、イチゴ(主要品種は、さがほのか、とよのかなど)、ミカン、ナシなどの生産が多い。ミカンの収穫量は年々減少傾向にあるが、温室栽培で出荷期間が長いハウスみかんの年間収穫量は多い。, 畜産では、九州の他県と同じように、鶏、肉牛、豚の飼育頭数は多い。肉牛に関しては、伊万里市を中心に生産される『佐賀牛』(「伊万里牛」)ブランドが近年広くPRされている。, 国内の農産物消費の頭打ちなどを考慮し、米や果実、牛肉などを「佐賀ブランド」で輸出する試みも行われている。, 有明海では、海苔の生産が特に多く、貝類の漁獲量も多い。板のりの生産も多く、特に贈答品として特化しており、最高級品を『佐賀海苔 有明海一番』として販売している。ガザミのうち太良町近海で獲れるものは『竹崎カニ』と呼ばれている。また、筑後川の下流域では初夏にエツ漁が行われ、本県南東部は福岡県筑後地方と並ぶ産地として知られる。, 近年有明海は多くの海産物で収獲量変動が激しくなっており、就業者の減少も加わり、水産業の衰退が深刻化している。また1990年代以降、海苔の不作や魚介類の不漁が増加しており、諫早湾干拓事業の影響が指摘されていることから漁業者が反対運動を起こしている。, 玄界灘では、アジ、サバなどの魚類やイカ、タコ、エビなどの漁獲量が多く、以上でこの海域の漁獲量の9割以上を占めている[要出典]。呼子漁港、仮屋漁港、唐津港などで水揚げ量が多い[要出典]。, 県内では明治時代から本格的な石炭の採掘が始まった。杵島炭鉱や古賀山炭鉱、唐津炭田の諸炭鉱など、炭鉱は県中部や北西部に集中しており、最盛期には賑わいを見せた。しかし1950年代以降、埋蔵量・採掘量の減少やエネルギー政策の転換により規模は縮小し、1970年代までにすべての炭鉱は閉山した。, また、有田町の泉山では磁器の原料として、李参平が発見した陶石の採掘が行われていた。しかし、明治中期から使用が始まった天草産の陶石に押され需要が低迷したため、1992年(平成4年)で採掘は終了し、現在は一部で在庫が使用されているのみになっている。, 佐賀県では、日本全体の傾向と同様に重化学工業の比率も高いが、特に食品の出荷額が多い[要出典]。また、窯業の出荷額が占める割合が大きい(下の項目参照)。, 地域的には九州の交通の要衝である鳥栖市や、県庁所在地の佐賀市周辺で工業が盛ん。鳥栖市・基山町などには、特に多くの企業の工場が進出している。また、伊万里湾では、造船・半導体を軸として水産加工・食品・木材などの工場が並ぶ臨海工業地域が形成されている。, 自動車部品、機械、半導体部品などの製造は比較的盛んであり、シリコンウェハーについては大規模工場が立地する関係で年間生産額が全国最多の1,320億円(2010年(平成22年))となっている[要出典]。, 雇用創出や税収増加、人口流出の抑制を狙って、1980年代頃から工場団地への工場誘致が盛んになった。現在も市町村や県が中心となって工場誘致を行っている。, 有田町など佐賀県西部では、陶磁器関係の産業が特に盛んで、有田焼(伊万里焼)、唐津焼などのブランドも多い。有田では、17世紀に朝鮮から渡来した陶工の李参平が泉山で良質な陶石を発見したことで有田焼(近世には伊万里焼と呼ばれた)を創始し、古くは輸出もされたブランド品が生産され、近年は日用品も含めて様々なジャンルの陶磁器が生産されている。有田町は、陶磁器の生産量で県の6割を占め、年間出荷額でも200億円-300億円を数える。このほか、伊万里市などでも盛んである。, 江戸時代に長崎街道を伝って砂糖が豊富に流通したため製菓業が盛ん。小城市の羊羹、佐賀市の丸ぼうろ、唐津市の松露饅頭など、各地に伝統的な菓子が残っているほか、江崎グリコの創業者江崎利一、森永製菓の創業者森永太一郎は共に佐賀県出身であるなど人材も輩出している。, 全国でも有数の米どころであることもあり清酒の醸造が盛んで、鎌倉時代には「肥前酒」として幕府に献上していた。製造、消費共に清酒より焼酎が多い傾向が強い九州においては異色となっている[要出典]。, 佐賀県の商業は、人口規模や県民所得からして特に盛んという訳ではない。2000年代初頭から、郊外型の大規模ショッピングセンターの建設が相次ぐ一方で、市街地の商店街の衰退が各地で進んでいる。また他方では、交通の便がよく県内よりも大規模な福岡市の商業街へも客は流出していたが、この傾向は現在もある。, サービス業人口は多いが、他県と比べて大きな特徴は見られない。観光業については、観光資源に乏しいとされることがあるが、その活用やPRがうまく進んでいないだけとも言われている[要出典]。2005年(平成17年)からは知事が「ファミリーツーリズム」という考え方を提唱し、親・子・孫の三世代旅行を誘致する施策を展開している。, 福岡や長崎といった運輸・貿易の集中地帯の中継地としての役割もあり、鳥栖ジャンクションを中心として高速道路沿いや幹線道路沿いに、運輸業や倉庫業の事業所が多い。, なお、サガテレビが県内唯一の地上波民間テレビ放送局であり、地域(特に県西部の伊万里市・武雄市・嬉野市など)によっては同局とNHK(総合・教育(Eテレ))だけしか受信できない。それゆえ、ケーブルテレビを使う世帯が圧倒的に多い。, 県東端部は国道・高速道路・鉄道が集まる九州の交通の分岐点であり、その利便性のため東部には物流や製造業の拠点が多い。県内道路は福岡県と長崎県を結ぶ北東-南西方向の幹線上にあって佐賀市や唐津市を基点としつつ網状に広がっている。, 九州の道路交通の大動脈である国道3号が県東端部の基山町・鳥栖市東側を南北に通っている。そのさらに東側を福岡県との県境に並行して九州自動車道が南北に通っている。, 県南部の平野部を北東から南西へ斜めに横断する国道34号は鳥栖市から佐賀市・神埼市・武雄市・嬉野市などを経由し長崎市に至る幹線で概して交通量が多い。これと並行して長崎自動車道が走っている。鳥栖市で国道34号と国道3号が接続、また長崎自動車道と九州自動車道・大分自動車道が鳥栖ジャンクションで接続している。, 武雄市から佐世保市へ至る国道35号、福岡市方面から唐津市や伊万里市を経由して佐世保市へ至る国道202号、佐賀市と唐津市を結ぶ国道203号、佐賀市から佐賀平野・筑後平野を南東に進み大牟田市を経由して熊本市へ至る国道208号も主要幹線である。山地を越えて佐賀市と福岡市を結ぶ主要路線として川上峡や三瀬峠・三瀬トンネルを経由する国道263号があり、また国道385号は神埼市を経由して柳川市と福岡市を結ぶ国道で、国道34号などと併せて佐賀市と福岡市を結ぶルートを構成しており、山地を越えるが、2006年に東脊振トンネルが開通し利便性が向上した。, 有料道路では、福岡市から国道202号と平行し平戸方面へ迂回して佐世保を経由し武雄ジャンクションへ繋がる西九州自動車道が整備中で、武雄方面と唐津市東部の一部が開通している。国道203号のバイパスとして佐賀唐津道路が計画されており一部が厳木多久道路や厳木バイパスとして使用されている。また地域高規格道路として、大牟田から国道208号と平行して佐賀市を経由し、有明海沿岸を周回して鹿島へ至る有明海沿岸道路が整備・計画中で、県内の一部の区間が開通している。, 県内の主なバスターミナルは佐賀駅バスセンター、唐津大手口バスセンター、鹿島バスセンター、嬉野温泉駅など。, 佐賀平野と有明海沿岸の鳥栖・佐賀・鹿島の各都市を通るJR長崎本線、武雄や有田を経由し西部を横断する佐世保線は、特急かもめ・みどり・ハウステンボスが運行し、幹線として利用されている。また短い距離であるが東端部を九州の大動脈である鹿児島本線と九州新幹線が南北に走る。そのほか、佐賀と唐津を結ぶ唐津線、福岡市方面から唐津を経由し伊万里へ至る筑肥線、有田から伊万里を経由し松浦方面へ至る松浦鉄道西九州線、基山と朝倉市甘木を結ぶ甘木鉄道甘木線がある。県内の主要な駅は佐賀駅、鳥栖駅、基山駅、唐津駅、神埼駅、武雄温泉駅、けやき台駅、有田駅、肥前鹿島駅、伊万里駅、肥前山口駅、吉野ヶ里公園駅、中原駅などである。2011年開業の新鳥栖駅はつばめとさくら全数が停車する乗換駅で、将来的には九州新幹線 (西九州ルート)の分岐駅となる予定[要出典]。, 1998年に開港した佐賀空港は全日本空輸による1日5往復の東京便のほか、LCCの春秋航空が上海浦東便、ティーウェイ航空がソウル便、春秋航空日本が成田便を運航している。旅客数は年間約66万人(2016年度)[25] となっている。夜間貨物便の運行や、福岡・北九州とのマルチエアポート設定などが行われている。便数面や就航航空会社の選択性などの理由、また距離が近い地域では福岡空港(福岡市)や長崎空港(長崎県大村市)も利用される。, 大型港湾は玄界灘沿岸に集中している。唐津港と伊万里港が重要港湾である。唐津港はセメント・砂利・砂・石油などの原材料系の受け入れ量が高い特徴がある。伊万里港は大連・青島航路(中国・民生輪船有限公司)、上海航路(日本・神原汽船株式会社)、華南ラウンド航路(韓国・興亜海運株式会社)など複数の海外航路がありコンテナ貨物の割合が高く、大型船に対応した水深13mの新岸壁・ガントリークレーンを備えた国際コンテナターミナルとして重点的に整備が進められている。地方港湾は、玄界灘側の呼子港(避難港)・仮屋港・星賀港、有明海側の住ノ江港・諸富港・鹿島港・大浦港の計7港である。, また、玄界灘では離島と本土を結ぶ定期旅客航路が運航している。唐津東 - 印通寺港便(九州郵船)は唐津と壱岐と結ぶ。唐津港からは高島便(唐津市漁業協同組合高島支所)、湊港からは神集島便(唐津市漁業協同組合神集島支所・ユージングボート宇野)、呼子港からは小川島便(川口汽船)、加唐島便(加唐島汽船)、松島便 (新栄)、馬渡島便(郵正丸)の計4航路、星賀港からは向島便(向島丸)、浦ノ崎港からは福島港便(金子廻漕店)がある。有明海では定期航路はない。, 佐賀県のテレビジョン放送受信は、現時点で県内向けの放送を行っている報道機関は以下の2局のみ。民放に至っては1局しか存在しない。, しかし、県境付近では、隣接する福岡[27]・熊本[28] の2県の県域テレビ局の放送エリアのめやすとなっている。直接受信が困難な地帯[29] 向けにケーブルテレビ局も各地で整備されており、県内大半の地域では、福岡県の民放を視聴できるようになった。フジ系以外では福岡県の民放が佐賀県分の報道取材等を行っている。, 地上デジタル放送の開始も遅れ、全国最後発となる2006年(平成18年)12月1日開始であった。県が音頭を取って事業者を組織し、佐賀デジタルネットワーク社を設立。デジタル放送の県内事業者向け配信を一手に担うとともに、インターネット接続プロバイダ業務も行うこととなった。ただ、県外民放の再配信は福岡県分に限られ、熊本放送については各事業者が個別に許可を得る方式とした。, 県内でサービスを提供している(許可施設を有する)ケーブルテレビ事業者は2004年9月末時点で19社である[30]。主な放送局は佐賀県のケーブルテレビ局を参照のこと。世帯普及率は2011年3月末時点で47.9%[31]。, 外国語放送のラブエフエム国際放送(LOVE FM)が佐賀市のみ放送対象地域に[35]、その他県内のほとんどの地域が放送エリアに[36]、放送対象地域外のエフエム福岡[37]、CROSS FM[38]、エフエム熊本[39]、エフエム長崎[40]、が県内の一部の地域で放送エリアとなる。, また、県域局であるNBCラジオ佐賀及びエフエム佐賀の何れもが長らくradikoでの配信を実施しておらず、また佐賀市を正式な放送対象地域としているLOVE FMも県内での基本サービス配信を行っていないため、県内でのradiko実施局はNHKラジオと全国放送のラジオNIKKEI及び放送大学のみという状態が続いていたが、2020年4月15日にエフエム佐賀がradikoの配信を開始したため、現在は解消している[注 1]。, 佐賀県は地域区分局に当たる郵便局が県内に存在しない唯一の都道府県である。県内全域を指す郵便番号84(上2桁)の地域区分局は、福岡県の久留米東郵便局となっている。